ということでまずはバドから。おつかれえさまでした・・とちっとも覇気が出ない。
今、ベンダ・ビリリ!〜もう一つのキンシャサの奇跡というWOWOWで録画した番組を流しながら書いている。まどうでもいい話なんだけど、「腹ペコで死にそうだ」という字幕が、自分の飯食ってないからか?にかぶった瞬間、ちょっと恥ずかしかった。
そういうわけで、7−11でおにぎりを買ってきて食べている。最近7−11の弁当の不味さといったらイトーヨーカドーのせいか?と疑いたくなるほど、数年前との落差が激しい。鳥の唐揚げなんて鳥臭くて食えたもんじゃない。当たり外れじゃなくて毎回そうだからね。絶対食えないよ。本当、消費者を馬鹿にしているのか、舐めまくっているるのか(自分が音楽理論を舐めまくっていたことは後述する)。
じゃあそんな店で買うお前は何なんだという話だよなあ。しかも「おにぎり」までまずくなってる・・・まあこれは今日だけかもしれないけどご飯にちゃんと塩がかかってない。定価170円のおにぎりだというのに。今日は20円引きだったから塩を引いたの? あーー!、そういえば、前回は確かいなり寿司を7−11で買って食べたんだった! やばいじゃんこの習慣付きは。でもなんかこう、疲れて深夜の帰宅となると、コンビニ弁当がシックりくるんだよねぇ。
話を戻すと、内容的には学校TVでいいじゃん、ってことかもしれない。が、が、が、が。違うんだよねえこれが。聴くと見るとじゃ大違い。いや本当、あの人は天才だね。天才先生。(音楽理論を教える)先生業として。って自分が言うほどのことじゃないっていうと逆な言い方だけど、当たり前のというか、きっと言われ続けてきていることだろうし、いまさら感というか、お前(自分)ごときに感というか。
正直、音楽理論を今まで舐めていたと言って良いことが図らずも露呈した。もちろん、自覚として舐めていた訳では全くない。そこまで物好きじゃない。そうじゃなくて、そう思わされるほど、音楽を理論的に見る(って言う言い方が間違ってたらごめんなさい)っていうのが、これほどすごい、次元が違うことなんだということを実感してしまったといったらいいのか、こっから先、行くと行かないとでは180度違うよという、まあもう、首突っ込んじゃった訳だから、後戻りも何も無い訳だけど。
とはいえ、自分が5人目の犠牲者になるということではないと思う。
ビートルズの「ドライブマイカー」で、出だし〜baby you can drive my car とかいうところの前後でABに分かれているわけだけど、Aはメジャー?マイナー?ブルース?ってクイズがあって、歌からしたらブルースだけど、ベースとギターを聴いてるとメジャーっぽいので、メジャーに手を挙げてしまったが正解はブルース。大はずれ。そっか、ベースのDドーミソミド、Gドーミソミド(※ここは実際ドミソじゃないけどGをルートで数えたらという意味)っていうのが普通にメジャーっぽく感じたが、I-Ⅳなのか。
でこの歌詞がまた素晴らしい(その説明は面倒なので省略するが)とか、強いてへたれを上げるならギターソロぐらいかなというぐらい曲として素晴らしいということらしい。
ビートルズを中学高校、そして時々思い出したように何回も聞いて来た自分はきっと100回以上聞いていると思われる曲だが、歌詞なんて一度も考えたことも気にしたこともなかった中で、こういう解説がまた曲の分析的味わいをさらに深くする。ちなみに歌詞を気にしないというのは、インスト好きなので歌詞なんてどうでもいいというのが半分、歌詞を知ってしまうと、曲に深入りしすぎて聞けなくなってしまう気がするので知りたくないというのが99%。
つまり、自分に戻って(学理授業から解放されて)この曲を聞いた時、今まで通りには二度と聞けないかもしれないが、それでも理論抜きに歌を楽しむということが出来たとすれば、それはそれで楽しいこと。だ・け・れ・ど・も、音楽理論として捉えつつ、あるいはそこに歌詞がまた素晴らしくてさぁ、という分析を加えながら味わうというのは、全く別な楽しみで、いやあ本当に5人目の犠牲者にならないようお願いしますよ自分、という、新たな趣味嗜好の発見、遭遇。
だから音楽理論を今まで舐めていたということになる。
で次は何だっけ? ガール? それもあったけど、如何にもブルースっていう4度進行の曲(iTunesに曲が入ってるMacに移動だよって書いたらベンダ・ビリリ!の中でMacBookが2台映った。)、「The Word」だった。これはリズム的にも如何にもロックンロールだよね。
ま、今、寝て起きて、朝の8:30頃から続きを書いているわけだが、そのせいもあるかもしれないけどもこれ以上思い出すのは頭的にキツい。頭脳労働として頭を休ませる必要があるので以上。
それと実は「ラバーソウル」じゃなくて「サージェントペパーズロンリーハーツクラブバンド」(カタカナで書くな!w)で授業やるはず(例年はそうらしい)だったのが、間違って「ラバーソウル」を持って来てしまったということで、スティーリーダンに行く前に何処かでお会いすることでしょう恐らく。サージェント〜はローリングストーン紙が選ぶ20世紀のポップスアプバム?の1位に選ばれたアルバムだとかで、それも然ることながら、この中に4つの調性が全部いい感じに入っているということらしい。何かサージェント〜が頭で鳴り出した途端、ビートルズを超える曲を書くぞ!という妄想が。
実際今回の授業で初めて授業中にノートを書いたが、「ノートを取った」わけじゃない。授業にインスパイアされたアイディアを書いただけ。ノートを取らないのは、聞きながら書くということが出来ない、シングルスレッド人だから。案の定、ちょっとメモしてる間に話について行けなくなってしまった。
ドナルドフェイゲンと言えば、自分がまだ東海楽器にいる頃に、彼自信が表示を飾っているモノクロジャケットのアルバム(だったと思う)、それが「ミュージシャンに受けがいい(賞賛、までいってはいなかったと思う)という巷での評判を聞いてアルバムを買ったのだが、あの何とも言えないバグダッドカフェ的な殺伐とした(乾燥した砂が俟ってる)感じと、な〜んかこう適当なリフに、他人(ヒト)は他人、と思ったのを覚えている。
※ぐぐってみたら、ナイトフライだった。
そのドナルドフェイゲンと誰だかのユニット、『スティーリーダン』のとあるアルバムがポップスの複雑さの頂点だということで、そこまでやったら卒業ってことになるらしい。が、あれ?でもペン大に卒業システムはないはずなので、その先はさてどうなるんでしょう?
そして今日の言葉。
「今年は1000年に1度の年なんでね!」
うまいこというね〜。でもそれを言ったら2011年は1000年に1度はおろか、西暦始まって以来初の2011年だというへ理屈においては、毎年毎年平凡であるかユニークであるかっていうのは相対的でしかなく、何処に重きを置くか、価値を見い出すかでしかない。
だけれども、今年は確かに1000年に1度とイクスキューズされる天変地異が日本に起こった年であり、日本人としてそれは無意識的にさえ非常に重いことに違いない。1000年に1度の年か。もらっとこ。先生も新宿界隈からパクって来たんだったりしてw。今度聞いてみっかな。
ということで次回、もしかしたらビュロー菊地印で領収書が頂けるかもしれないのだが、だとしてなぜかうれしい気がする。
まだ本当頭がズキズキするといったらオーバーだけど、音色(楽器)と曲との力関係も聞いてみたかったのだが聞けなかったということをmemoして一旦終了。後で書き換えると思う。
2011/11/18追記
この回だったか前回だったか忘れたが、我々で言う技術経歴書のようなパッと見の、書かれている内容は見てないので全然分からないけども、詳細に何か書かれた学籍簿?を作品CD?と共に提出されている方がいた。すごい、えらい。先生も受け取られて「じゃ、聞かせて頂きます。」という感じで実に丁重に受け取られていた。確か記入する説明の際に、音楽性?だったっけかなあ、の項目(大きな一番下の余白)は「書いても読みません(笑)」とかなんとか言っていたので、まあ優等生な自分は真っ白なまま出したわけだが、とは言え音楽性っていってもどうせ説明できないしね、理論を覚えて作曲に役立てたいとか思って門を叩いたわけでもないので、『-2<s<2』ってグラフ付きで書こうかと最初は思ったのだが、シャレが通じず退学になっても困るので、まま、自分の場合は無地で良かったと思う。