2011年10月30日日曜日

秘密鍵のインポート

何回やってもわからないが、秘密鍵を"書き出し"で.p12という拡張子のファイルを作成し、そのファイルをインポートしたいマシン上にコピーし、そのインポートしたいマシン上でダブルクリックすると、取り込まれた。 う〜ん、何度やっても身に付かず、行き当たりばったりでクリアしている状況。 基本的には今使えているこの秘密キーを大事に取っておいて、新しいマシンにインポートしていく(コピーしてダブルクリック)ということだとは思うのだが、マシンが複数あると、どうもいけない。ということで、airをメインにしてみるかなこの際。

2011年10月28日金曜日

ペン大 第8回 インストール終了...え?

前回欠席したので何か説明があったのかもしれないいし、自分の聞き間違いだったのかもしれないが、でも確かに学理に入って行くっていう話だったはずなのに、なんと、なんと、インストールが終わっていなかった!という驚愕の事実。

ま、

「どうでもいいじゃん。」

それにしても、つくづく、自分のなんていうんだろう、こう、イタリアンの無さ、にがっかりな感じを実感したので、今から書くのをやめて、飲みに行こうと思う。

つづきは後で。

追記:2011/10/29(土)
結局711でいなり寿司を買って帰ってきただけだったが、まあ良かったと思う。なんせ、近所に深夜営業していて、1人で行けて、おまけに自分好みの飲み屋、なんて都合のいいお店は残念ながら無い。そうなるとつい妥協してしまい、店に合わせてしまう。このユーティリティさが良くない。こういう能力はもっと違う場面で発揮すべきだし、他に発揮すべき能力があるはずだ(例えば、旧ラビット関根さんが「美し過ぎる」という言い回しに「すぎる」はおかしい!と噛み付いていた、その「毎回授業料を渡すだけでは『美し過ぎる』」女性の方に「その革のジャケットいいですね〜」と言い、返す刀で「実はね、これも革なんですよ!」と自分のTシャツになんと革がプリントされているそれを無意味にひけらかしてaug/dimで満ちあふれた場のエントロピーを上げて中和するとか)。

だがこの回は、おそらく学校TVでやってなかったがために(全く頭に入っておらず)、丸2時間集中して聞くというのが相当応えたようで、先生に「あれ、インストールって前々回で終わりで次から学理って言ってましたよね」というつっこみという名の質問さえも出来ない状態、とにかく早く帰りたいけどちょっと休憩してからじゃないと無理という状態にフィジカル的に至っており、そうなると実際、何にも出来ないという弱々しさが露呈した。まずはこれを片付けよう。

それにしても、四度圏表、次の回までマスト。というか、四度圏表が出来るまで次の授業は出れない。

2011年10月22日土曜日

病院送り



昨日、2011/10/21 20:00から、粋な夜電波というTBSラジオの番組をradikoで録音するつもりで、前の週から準備をし、同じ番組でリハーサル録音を行い、この日に備えていたというのに、スケジュール登録はされてないわ、それでも番組開始90分前に突然思い出し、何でスケジュール登録されてないんだ!と自分に激怒しながらも、「まあ、もうすぐだから、今更登録することもないな。」と決めつけ、思い出したのが、ついさっき、丸1日過ぎた18:30頃の事だ。

もうこうなったら自分を精神病院にでも送りつけるしかあるまい。

safariでMac DevCenterからメンバーセンターにアクセスできなくなり(URLをクリックすると、何もデータが送られてこないのか、全くソースが無い状態で白いページが表示される)、試しにFireFox5で開くと、問題なく表示されるし、別なMac+safariで表示すると、やはり問題なく表示されるので、これはcookieを一度ブロックしたせいではないか?と疑い、"safariリセット"を実行したのだが、何も変化なし。おかしい。なぜだろう。無駄に悩んでみるが、どうにもならない。

まる2日格闘した挙げ句、もしやと思って"safariリセット"のダイアログをよく見ると、cookieを消すとは書いてない(そんなチェックはない)。案の定、safariの環境設定の中の"プライバシーの"すべてのWebサイトデータを削除"の下にcookieが残っているではないか。そこでその"プライバシー"の"cookieの詳細を開き、削除すると、難なくメンバーセンターにアクセスできるようになった。

だが、その"プライバシーの"すべてのWebサイトデータを削除"を実行すると、cookieは全て削除される。この文言は"safariをリセット"で出てくるダイアログの中の"すべてのWebサイトデータを削除"というチェックと、一字一句同じ文言ではないか!!!!

いつか新品のMacでsafariを開いてる状態に油を注いで黒こげにして、USTREAMで中継してやりたい。というか、そういうダメな商品をぶっ壊す番組を作ったら人気が出るんじゃないかと、Apple TVを操作しながら思いついたので、safariもその番組へ送りつけてやろう。

Apple TVは? と言えば、アップデートを終了後、何と「アップデートはできませんでした」というメッセージが表示される。仕方なく、設定からアップデートを実行すると、「最新です」と表示されるのだ。その上、早送りしたまま操作不能となり、何度もいろんなボタンを押してようやく再生に戻る始末。危なくテレビがとばっちりを食うところだった。自分が無駄に金持ちだったら、間違いなくテレビごとぶっ壊してるに違いない。

みんなも、本当だった思いっきりハンマーでぶっ壊してやりたいけど仕方なく使い続けているダメ商品があるはずだ。そいつをこの番組へ通報しよう。ダメぶりダサダサぶりを披露して、それが皆に認められたら、思いっきりぶっ壊す権利が与えられる。もちろん壊す商品は番組で用意するから、自分のものは使い続けられる。ただし、君の方が悪いという判定が下ったら、キツ〜い罰ゲームが待ってるからそのつもりで。

自分が病院送りになるのが先か、この番組が先か。といってもこんな番組ありそうだが。もしあれば、ご教示頂きたい。

2011年10月17日月曜日

NetBeans7.1betaでJavaFXなMac

Mac版 JavaFX2.0のDeveloper Preview(いわゆるパブリックベータ)が出てから暫く経つが、速攻ダウンロードしたのにサンプルすら実行できていないという体たらく。というのも時間よ、止まれ、な状態だからだが、jjug ccc 2011 fallで桜庭さんのプレゼンを見に行くのに、最低限これだけはクリアしないと失礼だろうと、頑張ってみたら出来た。

Mac版のダウンロードと解凍までは躓くことは考えられないので、特にmemoしない。それと最初に断っておくが、javafxの当該ページ(や、そこからリンクされているNetBeansのページ)を、落ち着いて飛ばさずによく読めば、ほぼ問題なく(一部NetBeansの設定で騙される部分があるが、そこは個人の力量とも)インストールというか環境整備できるので、とにかく面倒くさがらずによく読むこと。急がばなんとやら。

まずはサンプルの実行から。

え?サンプルが実行できないって?と驚くかもしれないが、サンプルだけダウンロードして.jarファイルを実行しても動かない。まあ当たり前だが、JavaFX2.0 SDKがいる。そこまではいい。だがそれとサンプルの関係がよく分からない。人によっては、/System/Library/Java/Extentions/に然るべきファイル群をぶっこむと良いという人もいるようだが、その意味すら理解出来ない自分のことは、この際ほっとこう。

さて、答えは前述のjavafxの当該ページにある。ここに英語が不得意な自分用に親切にディレクトリ構成を明記して説明してくれている。だがこれをちゃんと理解できなかった。つまりこのようなディレクトリ構成で"サンプル入りの"SDKがあるの?と思ってしまったのだ。だがSDKとサンプルは別配布になっている。しかしこうした(説明と実際がちょっと違う)事はままあることなので、と思ってしまっていたのだが、そうではなくて、よく読むと「ダウンロードしたサンプルをSDKの中に入れてね、こういう風に見えるように」という意味だった。

結論。
1. JavaFX2.0 SDK for Mac(zipファイル)をダウンロードして解凍(というか自分の環境では勝手に展開される)。
2. サンプル(zipファイル)をダウンロードして解凍
3. 解凍して出てきたJavaFX2.0 SDKのフォルダに解凍したサンプルをフォルダごと突っ込んで、javaFXの当該ページの説明にあるようなディレクトリ構成にする(以下当該ページより引用)

javafx-sdk2.0\
bin\
docs\
javafx-samples-2.0\
rt\
.
.

(引用おわり)

4. サンプルを実行。例えばjavafx-samples-2.0の中の"Ensemble.jar"をダブルクリック。すると素晴らしいサンプル集アプリが起動して目が回る。

以上。

つづいてNetBeans7.1betaでの実行。

これは本当は画面チャプチャしたいのだが時間がないので、説明だけ。
JavaFXのサンプルプロジェクトを開くところまでは簡単に行けると思う。だがこの先エラーが表示されてさあ大変となる。ポイントは、JavaFX Platform;の項目で、"Manage Platforms.."ボタンを押し、/Library/Java/Homeを追加する。これをやると初めてJavaFXのタブ(といってもボタン型だけど)が表示されるようになり、そこでJavaFX2.0 SDKのディレクトリを設定できるようになる。デフォルトで設定されているJDK 1.6(デフォルト)ではnダメ。細かくみるとファイル構成が違うが、原因は全く分かっておらず、単なる結果オーライだ。Platformsの設定はJavaプラットフォームマネージャーを初めから設定しても大丈夫な気がするが、試してはいない。

ところがこのJavaFXの設定にトラップが仕掛けられている。

Enable JavaFXのチェックを入れると、JavaFX SDK、Runtime、Javadoc、Sourcesの4項目のパスが設定できるようになるが、普通、心理的に上から順番に設定すると思う。そんな自分を誰が責めるだろうか。だがRuntimeを設定しないとエラーになり、さっぱりわけが分からない状態に陥る。NetBeansのサイトでWindows版の設定を読んでたら、SDKのパスはやっぱりSDKのトップフォルダになっているので、もしやと思い、Runtimeも設定してみたらなんと、その瞬間にエラーが消えたではないか! なんだよ〜、最初に何〜んか、そんな気もしたんだけどサァ、エラーってほら、やっぱり気になるし、強引に次を設定すれば、ってのはねえ、こう、うっすら片隅に浮かんでいるだけなので、中々手まで降りてこないっていう、ね。というか、これはUIとしてはバツだろう、と逆切れるw

ともあれ、Runtimeに設定するのは、SDKがjavafx-sdk2.0.2-betaだとすると、javafx-sdk2.0.2-beta/rt だ。とりあえずこの2つを設定するとエラーもすっきり消えてなくなり、サンプルがNetBeans上でビルド出来たりデバッグ出来たりするようになる。

ちなみにMacOSはまだ10.6。

ところでccc、node.jsも聞きたいのだが、それだと時間空き過ぎるのが難点。その間の素晴らしい講義は多分、ついて行けないだろうしなあ。どこか電源のあるところでお茶しながらCoreAudioかEnsemble.jarしてるという手もあるが、node.jsもきっとついて行けないだろうしなあ。迷う。

2011年10月16日日曜日

もしもニュートリノが光速を超えたのなら

『光速より速い光』という本を大昔に読んだ事があるが、それはさておき、光速で移動する物体の質量は0(zero)じゃなかったか? もしもニュートリノが光速を超えたなら果たしてその質量は一体どうなるのだろうか。ニュートリノはこの世に留まっていられるのだろうか。

今回の速度測定は、単純に移動距離を移動時間で割ったもの。とすれば、ニュートリノが途中でショートカットしたことを気づかなかったのかもしれない。

巷でいうところの、光速で移動する物体の質量はzeroだという話が本当なら、光速を超えたニュートリノはこの世の物ではなくなるのではないだろうか。だが、一方でエネルギーが保存されるとすれば、無くなったニュートリノの代わりに新たなニュートリノが生まれはしないだろうか。もちろんエネルギー量が同じなら何もニュートリノである必要はない。しかし代わりのニュートリノが現れればエネルギーは保存される。そうして双子のニュートリノが、少し先、ゴールに近い側に、何食わぬ顔をして現れたのではないだろうか。

何かそれじゃあ映画『TRICK』の双子の姉妹のようだが。

『アインシュタイン その生涯と宇宙』を借りる


渋谷中央図書館で『アインシュタイン その生涯と宇宙』(上下巻)を借りた。(それにしてもことえりの変換はどうにかならないものだろうか。)下巻は改訂版だったので、ヘンテコな機械翻訳的誤訳で意味不明な文章を読まずに済むはずだったが(と思っていたが)、機械翻訳疑惑とは関係ないはずの上巻の謝辞で、いきなり文章がおかしい。まるで自分の文章レベルではないか。

いきなり1行目(p7)から(以下引用)
「アインシュタイン文献集の監修主幹であるダイアナ・コーモス・バックウォルドには膨大な量の草稿を熟読していただき、多数の意見を提示し修正を加えていただいた。」(引用終わり)

せめて”多数のご意見を頂戴し”ぐらいあっても良いはずだ。

また続く”修正を加えていただいた”だとダイアナさんが修正した意味になるが、最終的な文章は著者が書いたであろうから、ニュアンス的には修正案を貰ったとか、誤りを指摘して頂いたとか、そういう意味ではないだろうか。

もしそうだとすると、”多数のご意見や誤りをご指摘頂いた”、的な文章になってくる。ただそこは定かではないので、原著を入手して調べる他無い。

続いて、同じページの8〜9行に(以下引用)
「ゼーヴ・ローゼンクランツには、本書でアインシュタインのドイツへの姿勢やユダヤ人として継承する物についての洞察を提示してくれた。」(引用終わり)

とある。”ローゼンクランツには”で始まっているのだから、”提示してくれた”で終わるのはおかしい。”提示してもらった”などの受動的表現?になるべきだと思う。もしくは逆に"ローゼンクランツは”とするか。

また、”本書で”というのが如何にも日本語になっていない。”本書で主張すべき”とか”本書で伝えるべき”といった表現でないと、文章にならない。

また、全体を通して”いただいた”はひらがなのようだが(全文確認したわけではない)、これも漢字で(”頂いた”、”戴いた”で)良いのではないか。ただしこれはあくまで自分の感覚の問題かもしれない。

些細な事だが、こうした難解な本は、ただでさえ内容が難解なのだから、すらすら読めないと辛いものがある。もし終始このような書き方なのだとしたら、理解出来ない部分が、まず、内容なのか、文章自体の問題なのか、見極めなければならない。これは大変だ。

実は自分が真っ先に読んだのは『第20章 量子のもつれ 1935』である。自分のある物について知っている人は、それがこの中に書かれた重要な要素に由来することを見抜いていたかもしれないし、自分が20章から読んだことを知れば「だからこれなのか」と納得されるかもしれない。それだけ自分にとってのアインシュタインに対する疑問というのが、量子のもつれと局所性、そこに関係する微視性もしくは巨視性における近似について、本当のところ、どうあるべきだと思っていたのか、ということだからだ。もしかしたら何か核心的な答えが書かれているかもしれない。本書に期待していたのは正にその一点だった。だが残念ながら、自分には難解すぎて(それは訳の問題ではないと思う)、アインシュタインの”それらしい”答えというのが、何を意味しているのか、残念ながら理解できなかった。

自分は波動関数(自体をまるで理解していないのに言うのはおかしいと思うが)の収束と物理的な実在化は別物だと思っている。得てして数学は物理的にはなり得ない部分があるからだ。例えば無限は実在しない。プランク定数以下に分割できないわけだ。つまり宇宙は量子化されていて、無限に分割することは出来ないのだ。だがアキレスと亀の問答のように、ある距離の半分の半分の半分の...という具合に数学的に思考する上では無限を生じさせることが出来る。しかし、それを勢い物理世界に持ち込むことは出来ない。なぜなら前述のように無限に小さくは出来ないし、それを観測する時間も無限に短くは出来ないからだ。つまり本当にそのような実験を行い、永遠にアキレスが亀を追い越せないことを正しいとするためには、時間が止まった状態にいつまでも留まっていることになってしまう。しかしそれは実際には起こりえないのだ。なのにそれを無視して、あるいは素知らぬ振りをして、まるでパラドックスのように感じたり、そう思い込ませるような言葉で問題や回答が提示されたことがある(というか、最初に問題を知った20年ぐらい前はまだ商用インターネットもなく、身近に合った雑誌か何かの情報がそうだったというだけかもしれない)。

しかし一方で、というかもう1つ別な考えとして、波動関数が適用されるのは、あくまで量子的に小さいエネルギー(例えば光子)だけだというものがある。

よく言われる観測することで収束するというのは、目視ではあり得ない。それはあまりに馬鹿馬鹿しい。というか、馬鹿だ。つまり、言い換えれば、実在に収束するには、観測されることが必要で、その観測とは、すでに実在化したより大きなエネルギーを持つ物質か、同じような中途半端な状態にあるエネルギー体と接触するということだ。と自分は想像している。

このような重ね合わせの状態でいられるエネルギー体は、ある種”若い”とか”生まれたて”という、単純に個体と液体の関係になぞらえても良い、ある特別なエネルギーの状態であって、人間丸ごとまで大きくなくても、分子数個、あるいは1個でも、その原形を保ったままでは重ね合わせ状態には成り得ない。超高速での衝突などにより、原形が崩されることが必要で、そうなることで初めて個体が液体になったときのように”変形し得るエネルギー体”、つまり一段階レベルが下がったというか、若返ったような状態になり、重ね合わせの状態を取り得るエネルギー体になるのだと思われる。

ここでエネルギー体などというインチキな表現をしたが、粒子のように一粒一粒数えられるものが、どろっとした曖昧なものに変わった(変わり得た)としても、エネルギー量は同じであり、それ以上細かくならない物理的最小単位なのであれば、そのどろっとした状態で1まとまりになっている、つまり一粒と同じ量のエネルギーを持っていることになる。こうした粒に見えるか見えないかに関係なく”1つ”と数えられる単位がある物体としてエネルギー体と表現した。

とまあ大きく話は脱線したが、この本の内容についての評価は非常に高いので、機械翻訳問題が無ければ、もっと素直に読めたかもしれないが、しかし謝辞の日本語レベルでは如何なものか、ということと、ジョブス氏が直々に頼んだ事で話題にもなったが、原著は元々評価が高いのだから、原著で読める物なら読んでみよということかもしれない。

ちなみに量子のもつれという属性は、積もり積もって社会現象や感情のもつれとなって現れてくるのだと思う。これ本気。

2011年10月15日土曜日

日記

今日は雨。昨日の夜から降ったりやんだり。この時期この気温だと、さすがに濡れると冷たいし、風邪引きそうな感じになってやばい。気をつけよう。

さて、菊地秀行氏に習って、普通に日記風に書いてみよう。

昨日初めて夜電波を録音した。radikoで。過去にmemoしたことを頼りにしたが、所々抜けがあって、すんなりとは行かなかったので、後で直しておこうと思っているが、時間が止まってくれないと無理。

あとはmp3に落とすaudacityのプラグインを取ってこなければ。

本番は10/21。さて菊地兄はどこまで本当に番組をメチャメチャに出来るのか? 記念すべき音源になること間違いなし!と踏んでの昨日の予行演習だ。

さて今日は伊勢丹詣。拝むわけではないが、新宿と言えば伊勢丹というデフォルト化は、もう日常神格化していると言っても過言ではあるまい。

昼に待ち合わせをしているので、その前この雨の中、かわいすぎる愛娘を散歩に連れて行かねば。雨だろうが台風だろうが、平気の平左衛門なんだよねこの子は。