2010年6月30日水曜日

ベスト16

パラグアイは強かった。なぜそれをまず認めないのだろう。そこが日本の進歩がないところ。視聴率ありきで有名人を起用する、面白いことを言う、平気で辛辣なことを言う、そういう中身の無い出演者で視聴率を稼ぐ人たち相手にしてもしょうがない。

「周りがバッシングしても進むべき道を進む。周りが褒めても進むべき道を進む。」

という岡田監督の発言を、私自身は重く受け止めなければならない。

日本のサッカーが出来なかったというよりさせて貰えなかった。お互いにミスがあったが、日本のスピードをパラグアイはうまく効率よくプレスをかけ、スペースも消し、個人での突破も封じ、手堅く対応したと思う。その守備を打ち破れなかった。パラグアイにしても同じだろう。日本よりミスが多いようにも見えたが、決定的なゴールチャンスを何度も失敗した。運もあったかもしれないが、川島を筆頭によく防ぎきった。PKでの勝利を決して順当な結果だとは思わないだろう。

パラグアイは格上なのだから、0−0はすごいこと。もちろんそのために試合に望んだ訳ではないだろうし、ベスト4や優勝という言葉が、スタッフ全体にどういう意味を持っていたのかは知る由もない。ただW杯に出場したことだけでも十分凄いことだし、ベスト16なんて走れない天候だったら、こうは行かなかったかもしれないことを考えると、次のW杯に出れて当然なんてあるわけないし、ましてや次こそベスト4などと囃し立てないで欲しいと本当に思う。

岡田監督は最後の最後で、憧れのバルサチックなサッカーを諦め、守備に重きを置いた。おそらく主な原因は、フィジカルの弱さ、特に90分通しては走れないこと、だろう。確かに可能性として、そうした選手の能力であっても”攻撃力を持つ”、という方法はあるかもしれない。あるいは十分準備をすれば、より攻撃に偏重できるだけのフィジカルを身につける方法があるのかもしれない。だがそれは僅かな可能性であり、厳しい現実だと思う。私が岡田監督に真っ先に抱いた嫌悪感は、そうした独りよがりに見える攻撃的サッカーへの憧れを日本代表という場に持ち込んだ事だった。私から見てそれは、代表の私物化だった。おそらく誰もがやりたくても出来なかったジレンマかもしれない。だが岡田監督はチャレンジし、最後に己を認識した。それがベスト16を決めたときに岡田監督が言っていた「選手がどこまでやったらやられるというのを分かってきた」ということだろう。だがそれは監督の戦術が基本であり、もちろん選手という受け手の自主性もあるのだが、日本代表というチームを作り上げるという責任において、行わなければならないことだ。

だから唯一の攻撃力を本田に託し、9人を守備に回したゼロトップ戦術を以て、岡田監督こそが、まさに彼の言うチームワークで戦う最後の1ピースになったと思ったのだ。

スペインに勝ったスイスを引き合いに出すまでもなく、守備に徹することは0−0の可能性を最も大きくする。勝ち点を求められる現在サッカールールにおいて、それが最も重要視されなければならないほど、日本のサッカーの歴史は浅い。せめてTV番組でゴールデンタイムを常に占めるような国にならなければ、攻撃に手を出すのは時期尚早だと思う。もしも4年後、攻撃力を十分に備えたチームが作れたとしたら、私にはもう脱ぐ帽子がない。

もし引き分けの勝ち点がゼロだとしたら? 結局勝ち点ゼロで並んだときにどうするかということになってしまう。サッカーを攻撃重視にするなら、勝利の次は得点を優先するようなルールが必要だろう。

0−0のチームだからカウンターというわけではないし、引いて守るだけが術ではない。ただコンパクトに、相手に自由を与えない。それは鉄則だろう。理想を言えば、非常に狭い縦に短い形でありながら裏を自由に使わせない。そのためにはやはりプレスとスピード。高速で長身のDFが沢山いれば、攻撃に力を回せるのかもしれない。

ただこれは代表だからであり、クラブチームでは許されない。クラブチームは見て楽しませる責務があるのだ。

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