2011年10月30日日曜日

秘密鍵のインポート

何回やってもわからないが、秘密鍵を"書き出し"で.p12という拡張子のファイルを作成し、そのファイルをインポートしたいマシン上にコピーし、そのインポートしたいマシン上でダブルクリックすると、取り込まれた。 う〜ん、何度やっても身に付かず、行き当たりばったりでクリアしている状況。 基本的には今使えているこの秘密キーを大事に取っておいて、新しいマシンにインポートしていく(コピーしてダブルクリック)ということだとは思うのだが、マシンが複数あると、どうもいけない。ということで、airをメインにしてみるかなこの際。

2011年10月28日金曜日

ペン大 第8回 インストール終了...え?

前回欠席したので何か説明があったのかもしれないいし、自分の聞き間違いだったのかもしれないが、でも確かに学理に入って行くっていう話だったはずなのに、なんと、なんと、インストールが終わっていなかった!という驚愕の事実。

ま、

「どうでもいいじゃん。」

それにしても、つくづく、自分のなんていうんだろう、こう、イタリアンの無さ、にがっかりな感じを実感したので、今から書くのをやめて、飲みに行こうと思う。

つづきは後で。

追記:2011/10/29(土)
結局711でいなり寿司を買って帰ってきただけだったが、まあ良かったと思う。なんせ、近所に深夜営業していて、1人で行けて、おまけに自分好みの飲み屋、なんて都合のいいお店は残念ながら無い。そうなるとつい妥協してしまい、店に合わせてしまう。このユーティリティさが良くない。こういう能力はもっと違う場面で発揮すべきだし、他に発揮すべき能力があるはずだ(例えば、旧ラビット関根さんが「美し過ぎる」という言い回しに「すぎる」はおかしい!と噛み付いていた、その「毎回授業料を渡すだけでは『美し過ぎる』」女性の方に「その革のジャケットいいですね〜」と言い、返す刀で「実はね、これも革なんですよ!」と自分のTシャツになんと革がプリントされているそれを無意味にひけらかしてaug/dimで満ちあふれた場のエントロピーを上げて中和するとか)。

だがこの回は、おそらく学校TVでやってなかったがために(全く頭に入っておらず)、丸2時間集中して聞くというのが相当応えたようで、先生に「あれ、インストールって前々回で終わりで次から学理って言ってましたよね」というつっこみという名の質問さえも出来ない状態、とにかく早く帰りたいけどちょっと休憩してからじゃないと無理という状態にフィジカル的に至っており、そうなると実際、何にも出来ないという弱々しさが露呈した。まずはこれを片付けよう。

それにしても、四度圏表、次の回までマスト。というか、四度圏表が出来るまで次の授業は出れない。

2011年10月22日土曜日

病院送り



昨日、2011/10/21 20:00から、粋な夜電波というTBSラジオの番組をradikoで録音するつもりで、前の週から準備をし、同じ番組でリハーサル録音を行い、この日に備えていたというのに、スケジュール登録はされてないわ、それでも番組開始90分前に突然思い出し、何でスケジュール登録されてないんだ!と自分に激怒しながらも、「まあ、もうすぐだから、今更登録することもないな。」と決めつけ、思い出したのが、ついさっき、丸1日過ぎた18:30頃の事だ。

もうこうなったら自分を精神病院にでも送りつけるしかあるまい。

safariでMac DevCenterからメンバーセンターにアクセスできなくなり(URLをクリックすると、何もデータが送られてこないのか、全くソースが無い状態で白いページが表示される)、試しにFireFox5で開くと、問題なく表示されるし、別なMac+safariで表示すると、やはり問題なく表示されるので、これはcookieを一度ブロックしたせいではないか?と疑い、"safariリセット"を実行したのだが、何も変化なし。おかしい。なぜだろう。無駄に悩んでみるが、どうにもならない。

まる2日格闘した挙げ句、もしやと思って"safariリセット"のダイアログをよく見ると、cookieを消すとは書いてない(そんなチェックはない)。案の定、safariの環境設定の中の"プライバシーの"すべてのWebサイトデータを削除"の下にcookieが残っているではないか。そこでその"プライバシー"の"cookieの詳細を開き、削除すると、難なくメンバーセンターにアクセスできるようになった。

だが、その"プライバシーの"すべてのWebサイトデータを削除"を実行すると、cookieは全て削除される。この文言は"safariをリセット"で出てくるダイアログの中の"すべてのWebサイトデータを削除"というチェックと、一字一句同じ文言ではないか!!!!

いつか新品のMacでsafariを開いてる状態に油を注いで黒こげにして、USTREAMで中継してやりたい。というか、そういうダメな商品をぶっ壊す番組を作ったら人気が出るんじゃないかと、Apple TVを操作しながら思いついたので、safariもその番組へ送りつけてやろう。

Apple TVは? と言えば、アップデートを終了後、何と「アップデートはできませんでした」というメッセージが表示される。仕方なく、設定からアップデートを実行すると、「最新です」と表示されるのだ。その上、早送りしたまま操作不能となり、何度もいろんなボタンを押してようやく再生に戻る始末。危なくテレビがとばっちりを食うところだった。自分が無駄に金持ちだったら、間違いなくテレビごとぶっ壊してるに違いない。

みんなも、本当だった思いっきりハンマーでぶっ壊してやりたいけど仕方なく使い続けているダメ商品があるはずだ。そいつをこの番組へ通報しよう。ダメぶりダサダサぶりを披露して、それが皆に認められたら、思いっきりぶっ壊す権利が与えられる。もちろん壊す商品は番組で用意するから、自分のものは使い続けられる。ただし、君の方が悪いという判定が下ったら、キツ〜い罰ゲームが待ってるからそのつもりで。

自分が病院送りになるのが先か、この番組が先か。といってもこんな番組ありそうだが。もしあれば、ご教示頂きたい。

2011年10月17日月曜日

NetBeans7.1betaでJavaFXなMac

Mac版 JavaFX2.0のDeveloper Preview(いわゆるパブリックベータ)が出てから暫く経つが、速攻ダウンロードしたのにサンプルすら実行できていないという体たらく。というのも時間よ、止まれ、な状態だからだが、jjug ccc 2011 fallで桜庭さんのプレゼンを見に行くのに、最低限これだけはクリアしないと失礼だろうと、頑張ってみたら出来た。

Mac版のダウンロードと解凍までは躓くことは考えられないので、特にmemoしない。それと最初に断っておくが、javafxの当該ページ(や、そこからリンクされているNetBeansのページ)を、落ち着いて飛ばさずによく読めば、ほぼ問題なく(一部NetBeansの設定で騙される部分があるが、そこは個人の力量とも)インストールというか環境整備できるので、とにかく面倒くさがらずによく読むこと。急がばなんとやら。

まずはサンプルの実行から。

え?サンプルが実行できないって?と驚くかもしれないが、サンプルだけダウンロードして.jarファイルを実行しても動かない。まあ当たり前だが、JavaFX2.0 SDKがいる。そこまではいい。だがそれとサンプルの関係がよく分からない。人によっては、/System/Library/Java/Extentions/に然るべきファイル群をぶっこむと良いという人もいるようだが、その意味すら理解出来ない自分のことは、この際ほっとこう。

さて、答えは前述のjavafxの当該ページにある。ここに英語が不得意な自分用に親切にディレクトリ構成を明記して説明してくれている。だがこれをちゃんと理解できなかった。つまりこのようなディレクトリ構成で"サンプル入りの"SDKがあるの?と思ってしまったのだ。だがSDKとサンプルは別配布になっている。しかしこうした(説明と実際がちょっと違う)事はままあることなので、と思ってしまっていたのだが、そうではなくて、よく読むと「ダウンロードしたサンプルをSDKの中に入れてね、こういう風に見えるように」という意味だった。

結論。
1. JavaFX2.0 SDK for Mac(zipファイル)をダウンロードして解凍(というか自分の環境では勝手に展開される)。
2. サンプル(zipファイル)をダウンロードして解凍
3. 解凍して出てきたJavaFX2.0 SDKのフォルダに解凍したサンプルをフォルダごと突っ込んで、javaFXの当該ページの説明にあるようなディレクトリ構成にする(以下当該ページより引用)

javafx-sdk2.0\
bin\
docs\
javafx-samples-2.0\
rt\
.
.

(引用おわり)

4. サンプルを実行。例えばjavafx-samples-2.0の中の"Ensemble.jar"をダブルクリック。すると素晴らしいサンプル集アプリが起動して目が回る。

以上。

つづいてNetBeans7.1betaでの実行。

これは本当は画面チャプチャしたいのだが時間がないので、説明だけ。
JavaFXのサンプルプロジェクトを開くところまでは簡単に行けると思う。だがこの先エラーが表示されてさあ大変となる。ポイントは、JavaFX Platform;の項目で、"Manage Platforms.."ボタンを押し、/Library/Java/Homeを追加する。これをやると初めてJavaFXのタブ(といってもボタン型だけど)が表示されるようになり、そこでJavaFX2.0 SDKのディレクトリを設定できるようになる。デフォルトで設定されているJDK 1.6(デフォルト)ではnダメ。細かくみるとファイル構成が違うが、原因は全く分かっておらず、単なる結果オーライだ。Platformsの設定はJavaプラットフォームマネージャーを初めから設定しても大丈夫な気がするが、試してはいない。

ところがこのJavaFXの設定にトラップが仕掛けられている。

Enable JavaFXのチェックを入れると、JavaFX SDK、Runtime、Javadoc、Sourcesの4項目のパスが設定できるようになるが、普通、心理的に上から順番に設定すると思う。そんな自分を誰が責めるだろうか。だがRuntimeを設定しないとエラーになり、さっぱりわけが分からない状態に陥る。NetBeansのサイトでWindows版の設定を読んでたら、SDKのパスはやっぱりSDKのトップフォルダになっているので、もしやと思い、Runtimeも設定してみたらなんと、その瞬間にエラーが消えたではないか! なんだよ〜、最初に何〜んか、そんな気もしたんだけどサァ、エラーってほら、やっぱり気になるし、強引に次を設定すれば、ってのはねえ、こう、うっすら片隅に浮かんでいるだけなので、中々手まで降りてこないっていう、ね。というか、これはUIとしてはバツだろう、と逆切れるw

ともあれ、Runtimeに設定するのは、SDKがjavafx-sdk2.0.2-betaだとすると、javafx-sdk2.0.2-beta/rt だ。とりあえずこの2つを設定するとエラーもすっきり消えてなくなり、サンプルがNetBeans上でビルド出来たりデバッグ出来たりするようになる。

ちなみにMacOSはまだ10.6。

ところでccc、node.jsも聞きたいのだが、それだと時間空き過ぎるのが難点。その間の素晴らしい講義は多分、ついて行けないだろうしなあ。どこか電源のあるところでお茶しながらCoreAudioかEnsemble.jarしてるという手もあるが、node.jsもきっとついて行けないだろうしなあ。迷う。

2011年10月16日日曜日

もしもニュートリノが光速を超えたのなら

『光速より速い光』という本を大昔に読んだ事があるが、それはさておき、光速で移動する物体の質量は0(zero)じゃなかったか? もしもニュートリノが光速を超えたなら果たしてその質量は一体どうなるのだろうか。ニュートリノはこの世に留まっていられるのだろうか。

今回の速度測定は、単純に移動距離を移動時間で割ったもの。とすれば、ニュートリノが途中でショートカットしたことを気づかなかったのかもしれない。

巷でいうところの、光速で移動する物体の質量はzeroだという話が本当なら、光速を超えたニュートリノはこの世の物ではなくなるのではないだろうか。だが、一方でエネルギーが保存されるとすれば、無くなったニュートリノの代わりに新たなニュートリノが生まれはしないだろうか。もちろんエネルギー量が同じなら何もニュートリノである必要はない。しかし代わりのニュートリノが現れればエネルギーは保存される。そうして双子のニュートリノが、少し先、ゴールに近い側に、何食わぬ顔をして現れたのではないだろうか。

何かそれじゃあ映画『TRICK』の双子の姉妹のようだが。

『アインシュタイン その生涯と宇宙』を借りる


渋谷中央図書館で『アインシュタイン その生涯と宇宙』(上下巻)を借りた。(それにしてもことえりの変換はどうにかならないものだろうか。)下巻は改訂版だったので、ヘンテコな機械翻訳的誤訳で意味不明な文章を読まずに済むはずだったが(と思っていたが)、機械翻訳疑惑とは関係ないはずの上巻の謝辞で、いきなり文章がおかしい。まるで自分の文章レベルではないか。

いきなり1行目(p7)から(以下引用)
「アインシュタイン文献集の監修主幹であるダイアナ・コーモス・バックウォルドには膨大な量の草稿を熟読していただき、多数の意見を提示し修正を加えていただいた。」(引用終わり)

せめて”多数のご意見を頂戴し”ぐらいあっても良いはずだ。

また続く”修正を加えていただいた”だとダイアナさんが修正した意味になるが、最終的な文章は著者が書いたであろうから、ニュアンス的には修正案を貰ったとか、誤りを指摘して頂いたとか、そういう意味ではないだろうか。

もしそうだとすると、”多数のご意見や誤りをご指摘頂いた”、的な文章になってくる。ただそこは定かではないので、原著を入手して調べる他無い。

続いて、同じページの8〜9行に(以下引用)
「ゼーヴ・ローゼンクランツには、本書でアインシュタインのドイツへの姿勢やユダヤ人として継承する物についての洞察を提示してくれた。」(引用終わり)

とある。”ローゼンクランツには”で始まっているのだから、”提示してくれた”で終わるのはおかしい。”提示してもらった”などの受動的表現?になるべきだと思う。もしくは逆に"ローゼンクランツは”とするか。

また、”本書で”というのが如何にも日本語になっていない。”本書で主張すべき”とか”本書で伝えるべき”といった表現でないと、文章にならない。

また、全体を通して”いただいた”はひらがなのようだが(全文確認したわけではない)、これも漢字で(”頂いた”、”戴いた”で)良いのではないか。ただしこれはあくまで自分の感覚の問題かもしれない。

些細な事だが、こうした難解な本は、ただでさえ内容が難解なのだから、すらすら読めないと辛いものがある。もし終始このような書き方なのだとしたら、理解出来ない部分が、まず、内容なのか、文章自体の問題なのか、見極めなければならない。これは大変だ。

実は自分が真っ先に読んだのは『第20章 量子のもつれ 1935』である。自分のある物について知っている人は、それがこの中に書かれた重要な要素に由来することを見抜いていたかもしれないし、自分が20章から読んだことを知れば「だからこれなのか」と納得されるかもしれない。それだけ自分にとってのアインシュタインに対する疑問というのが、量子のもつれと局所性、そこに関係する微視性もしくは巨視性における近似について、本当のところ、どうあるべきだと思っていたのか、ということだからだ。もしかしたら何か核心的な答えが書かれているかもしれない。本書に期待していたのは正にその一点だった。だが残念ながら、自分には難解すぎて(それは訳の問題ではないと思う)、アインシュタインの”それらしい”答えというのが、何を意味しているのか、残念ながら理解できなかった。

自分は波動関数(自体をまるで理解していないのに言うのはおかしいと思うが)の収束と物理的な実在化は別物だと思っている。得てして数学は物理的にはなり得ない部分があるからだ。例えば無限は実在しない。プランク定数以下に分割できないわけだ。つまり宇宙は量子化されていて、無限に分割することは出来ないのだ。だがアキレスと亀の問答のように、ある距離の半分の半分の半分の...という具合に数学的に思考する上では無限を生じさせることが出来る。しかし、それを勢い物理世界に持ち込むことは出来ない。なぜなら前述のように無限に小さくは出来ないし、それを観測する時間も無限に短くは出来ないからだ。つまり本当にそのような実験を行い、永遠にアキレスが亀を追い越せないことを正しいとするためには、時間が止まった状態にいつまでも留まっていることになってしまう。しかしそれは実際には起こりえないのだ。なのにそれを無視して、あるいは素知らぬ振りをして、まるでパラドックスのように感じたり、そう思い込ませるような言葉で問題や回答が提示されたことがある(というか、最初に問題を知った20年ぐらい前はまだ商用インターネットもなく、身近に合った雑誌か何かの情報がそうだったというだけかもしれない)。

しかし一方で、というかもう1つ別な考えとして、波動関数が適用されるのは、あくまで量子的に小さいエネルギー(例えば光子)だけだというものがある。

よく言われる観測することで収束するというのは、目視ではあり得ない。それはあまりに馬鹿馬鹿しい。というか、馬鹿だ。つまり、言い換えれば、実在に収束するには、観測されることが必要で、その観測とは、すでに実在化したより大きなエネルギーを持つ物質か、同じような中途半端な状態にあるエネルギー体と接触するということだ。と自分は想像している。

このような重ね合わせの状態でいられるエネルギー体は、ある種”若い”とか”生まれたて”という、単純に個体と液体の関係になぞらえても良い、ある特別なエネルギーの状態であって、人間丸ごとまで大きくなくても、分子数個、あるいは1個でも、その原形を保ったままでは重ね合わせ状態には成り得ない。超高速での衝突などにより、原形が崩されることが必要で、そうなることで初めて個体が液体になったときのように”変形し得るエネルギー体”、つまり一段階レベルが下がったというか、若返ったような状態になり、重ね合わせの状態を取り得るエネルギー体になるのだと思われる。

ここでエネルギー体などというインチキな表現をしたが、粒子のように一粒一粒数えられるものが、どろっとした曖昧なものに変わった(変わり得た)としても、エネルギー量は同じであり、それ以上細かくならない物理的最小単位なのであれば、そのどろっとした状態で1まとまりになっている、つまり一粒と同じ量のエネルギーを持っていることになる。こうした粒に見えるか見えないかに関係なく”1つ”と数えられる単位がある物体としてエネルギー体と表現した。

とまあ大きく話は脱線したが、この本の内容についての評価は非常に高いので、機械翻訳問題が無ければ、もっと素直に読めたかもしれないが、しかし謝辞の日本語レベルでは如何なものか、ということと、ジョブス氏が直々に頼んだ事で話題にもなったが、原著は元々評価が高いのだから、原著で読める物なら読んでみよということかもしれない。

ちなみに量子のもつれという属性は、積もり積もって社会現象や感情のもつれとなって現れてくるのだと思う。これ本気。

2011年10月15日土曜日

日記

今日は雨。昨日の夜から降ったりやんだり。この時期この気温だと、さすがに濡れると冷たいし、風邪引きそうな感じになってやばい。気をつけよう。

さて、菊地秀行氏に習って、普通に日記風に書いてみよう。

昨日初めて夜電波を録音した。radikoで。過去にmemoしたことを頼りにしたが、所々抜けがあって、すんなりとは行かなかったので、後で直しておこうと思っているが、時間が止まってくれないと無理。

あとはmp3に落とすaudacityのプラグインを取ってこなければ。

本番は10/21。さて菊地兄はどこまで本当に番組をメチャメチャに出来るのか? 記念すべき音源になること間違いなし!と踏んでの昨日の予行演習だ。

さて今日は伊勢丹詣。拝むわけではないが、新宿と言えば伊勢丹というデフォルト化は、もう日常神格化していると言っても過言ではあるまい。

昼に待ち合わせをしているので、その前この雨の中、かわいすぎる愛娘を散歩に連れて行かねば。雨だろうが台風だろうが、平気の平左衛門なんだよねこの子は。

第7回 ペン大 調性

欠席(10/13)。

前回の話からすると、調性に入るということだったので、タイトルに調性と書いたが、実際はどうだったのかは分からない。学校TVで復習するつもりだが、時間がうまく捌けない今日この頃。

実際、インストールも間に合っていない。いや、遥かに間に合っていない。地道に続けて入るのだが前述の通り、時間よ、止まれ。


2011年10月10日月曜日

エネルギー保存の法則

とっくの昔に書いていたと思っていたが、書いてないようなので書いておく。

自分は正確にはおろか、大体ですら知らないのだが、生まれてきたときの体重は、おそらく3kg前後だっただろう。本当にこれは推測でしかない。別に確認したいとも思わないし、この話の中では全く重要ではないので、仮に3kgだったことにする。

さて、今自分の体重は、概ね68kgだ。ベスト体重を65kgとすれば、少々腹回りに余分な脂肪が3kgほど付いている計算だが、これも推測だし本題ではない(が、実際余分な脂肪は重さが分からないだけでたっぷり付いている)。

本題は、自分が生まれた時3kgだとしたら、自分の68kgの体重のうち65kgは、生まれた後、自分の一部になったことを明確に意味しているということだ。もちろんこれは「少なくとも」という無意味に最小限の事実を示しているだけで、生まれてからの数十年の間に、もっと沢山の体の入れ替えがあったことは想像に難くないし、証明は出来ないが誰もが信じる一般的な事実と言えるだろう。だがその数十年の入出力を無視して今この瞬間だけにポンと目を向けたとしても、自分は生まれたときの自分と「何処か65kg違っている」ということだ。

そしてさらに、母親のお腹の中にいる時まで遡れば、奇妙な事に、実際の自分、物理的な自分が、実は(全部とは言えないかもしれないが)流動的であることが分かる。

話を単純にするために、まずは生まれた後について考えてみよう。この生まれた後に獲得した65kgは、一体何で出来ているのか、というか、元は何だったのか、あるいは何に由来しているのか。それは言うのがバカバカしいほど当たり前な、さっき飲んだ一番搾りであったり、その前に食べたラーメンとその具材であったりするはずだ。そう、自分の体は、元を質せば、キャベツの切れ端と同じなのだ。

世の中には心臓に記憶の一部が記録されているのではないか、といった事象が確認されたという話もあるのだから、脳が人の全てだと言うつもりは無い。ただ脳が人間性の最も主要なパーツと目されていることは一般的な認識だろう。その脳は、実はキャベツから出来ているわけだ。

だがキャベツに人格の元があるとは、にわかには信じ難い。

では更に胎児にまで遡ったらどうなるだろうか。そこが全ての始まりだろうか? いいや。ではその前の両親の染色体はどうだろう? そこが全ての始まりだろうか? いいやそうではない。そうやって過去へ遡ったところで、同じ事の繰り返しでしかなく、どこまでも過去を遡っていくなら、そして知られている説を信じるなら、宇宙の起源まで行くしか無い(あるとすればだが)。

つまり自分は、150億年前のビッグバンの末裔なのだ。

とか何とか言ったのは、多分、’94〜’96年ぐらいの事ではなかっただろうか。何かのチャットで知り合ったアマチュア作家の方に出したメールの中で書いたのが最初だったと思う。

全く、冗談みたいなバカバカしい話だが、自分は単純な事実を述べてるに過ぎないし、そこに何か意味を見いだそうとしているわけでも実はない。

一方で未来に目を向けてみよう。自分はこれからも生きている限り、これまでと同じように入出力を繰り返す。敢えて入出力と書いたが、それはキャベツだけを意味するのではないという意味だ。つまり、五感(人によってはそれ以上の感覚)を通じて、様々な入力、すなわち光や音、匂い、そして感情などといった、人間に特徴的な物を取り込むことで自身が変化しながら、同様に吐き出す事で、時に他の人や動植物にも影響を与えていくことになる。

そうして自分がいずれ完全に過去の一部に埋没してしまう時が来ても、その次の世代の人達の間で、それは変わりようが無く、同じように営まれていくことになる。

このように、人というのが、ある時突如固体化し、その後日々獲得する経験によって変化し、やがて消えていく流動的な物だとすれば、150億年も前のことについて思い悩んだところで始まらないし、この先2000年後の未来でさえ150億年というアバウトな期間に飲み込まれてしまう。

要するに結局の所何をmemoしているのかと言えば、自分は、この保存されたエネルギーの系の中で、キャベツの切れ端とさほど変わらない存在だということ。そして、キャベツになったことはない(か当時の記憶がない)ので、キャベツでいるよりは今のほうが良い、ということだ。

こう思うようになったきっかけは、1つとは言えないが、それに直接気づいたのは、数年前、っとこれはある種のパスワードとして内緒にしておこう。(と、別途下書きに)

2011年10月9日日曜日

ディズニーシーへ行ったなら

帰りはR7(とかいう?いわゆる第二駐車場=遠いほうの混雑時用の駐車場)を出(て左折し)たらすぐ右車線に入り、舞浜や葛西方面(直進)へは行かず、東京、千葉方面(右折)へ抜ける。右車線を走っていると、そのうち道路上に右折ペイントが出てきて、え?まっすぐ行けないじゃん!となるので、素直に右折しよう。右折した少し先にJRの線路が上を走っているので、線路をくぐって少しまっすぐ走る。するとちょっと大きめの信号(交差点)が出てくるので、そこを左折する。そこまでの間、直進標識の信号もあるが無理に左折せず、標識に素直に従ってまっすぐやり過ごす。左折したら高速の標識が出てくるのであとは簡単だが、千葉方面と東京方面で入り口が違うので間違えないよう注意。左折して高速の標識が出てきたらその先で本線と側道(左)が分かれるので、側道にそれて高速の下に出たら左折(これ湾岸?)、浦安IC銀座方面に乗ろう! ポイントは線路をくぐった先の左折する信号を間違えないこと。そこを左折したら本線を行かずに左側側道に入ること。本線は橋みたいに上を跨いでいくような感じに見える。つられてそっちに行かないよう。つまり、くどいようだけど側道に入る。

 知らない道にはめっぽう弱い自分だが、昨日は最初にR7の駐車場を出た後、空いてる右車線に入り損ねた反省から、もっと自分のカンを頼りにしようと思ったのが吉と出た。

それと間違ったかも!?と思っても慌てず、標識に沿って進むこと。当たり前だけどあせってるとつい、右折オンリーだけど無理矢理まっすぐ行っちゃえとか、まっすぐオンリーだけど左曲がっちゃえとか、してしまいそうになるので、落ち着いて。

 とにかく、全くといっていいほどあの帰り渋滞に嵌らず帰って来れたのはすごい得した気分。首都高が空いていたのもラッキーだった。浜崎橋でも全然詰まらなかったし。 

ナビ? ついてないよ。

ところで140分待ちのループコースターが途中、中止になっていた。直前まで2時間並んでいた人達はどうなったのだろう? 自分が並んでたらと思うと恐ろしい。乗り物に乗りたかったら、せめて平日に行こう。土曜日のスターライトではファストパスも売り切れているので、本当乗れない。 

あと、シーの食べ物ってこんな適当だっけ?というほど適当でおどろいた。特にスモークチキンレッグとスモークポークリブの味が、風味もなく、ハムっぽいだけの、どちらも同じ味だったのには、うまいまずいを超えたところでおどろいた。残るはスモークターキーレッグだがさて次回覚えていたら試してみよう。

2011年10月7日金曜日

iPhone4S (なんで?)vs Kindle Fire

twitterに流れてきた「「iPhone 4S」と「Kindle Fire」、どっちがスゴい?」という記事。

どうして真っ向勝負の比較をしたいのか? 記事の書き方が番宣っぽい気がするのは自分だけだろうか。番宣が言い過ぎなら煽りタイトルと言えばいいだろうか。kindleで演奏ができるの? MIDIで繋がるの? ドキュメントは作れるの? App Storeにあるめぼしいアプリは移植されて動くの? まったく意味が分からない。もちろんモノクロのKindleでさえ電子ブックとして評価が高いのは分かるし、自分も日本語の本が増えれば考えたいと思う。何よりあの軽さは本当に素晴らしい。とはいえ、そんなに移動虫じゃないし、ベッドに入って本を読むわけでもないので、MacのKindleで今のところ十分、iPhoneでもiPadでもKindleはほとんど使っていない。

Kindle Fireが素晴らしい。そしてiPhone4Sを買うなら(こういう人には)こっちのほうがいいよ、というのは全然構わない。でも「どっちがスゴい?」はありえない。

2011年10月6日木曜日

Steve is dead. Long live the Innovator



 
もしこの先自分がどんなにすごいアプリを作ることが出来たとしても、Steve Jobs氏を笑わせることは出来なくなってしまった。彼の新しい旅路にグッドラック。ご家族やご友人に沢山の幸せが訪れますように。

彼を笑わすことは出来なくなってしまったが、1人でも多くの人を笑わせることが出来るように、頑張ります。

2011年10月2日日曜日

ペン大 第6回 インストール終了につき再インストール

コードのインストールにはダイアトニックスケールのインストールが前提となる。ということは、スケール上の構成音としてコードを見ることが前提となるはずだ。しかし実際トライアドを丸暗記するという九九のような方向に向かってしまうと、そんなことはおざなりになり、12キー×2(メジャースケールとマイナースケールの2つ)=24だという説が定着してしまう。

だが厳密にはどうかというのを自分なりに想像すると、ホールトンスケールがそうであったように、あるスケールが弾けるということは、どの音からでも弾けるということであり、加えて移動ド(ドレミ)式にも、ローマ数字度数(ⅠⅡⅢ)式にもアルファベット(A〜G)式にも読めるというか、思い浮かべる(意識する)ことが出来る状態にある必要があると思う。

もしそうなっていれば、トライアドもルートに対するドミソもしくはラドミなどで出てくる。また7thの場合はスケール上maj7と7はドライアドほど複数出てこないので、尚更スケール上の位置との関係で見ることになってくる。

7thコード(例えばG7)はダイアトニック環境のメジャースケールのⅤ度に出てくる(でしか出てこないがまあそれはどうでもいい)。このとき移動ドで読むと、ソシレファになる。G7がソシレファということは、Gがソなので、ルートはCとなり、Cのソシレファを思い浮かべればよい、ということになる。

そして、それは今後、コードから楽曲全体、特にベースラインやメロディラインとの関係性において、よりスケールとの結びつきが明確になってくるのではないかと思われる。しかし学校TVのケーデンスで解説されたように、環境外から借りてくるような話になると、そういう前提は崩れるので、そこ(スケール)がガチな話かというとそうでないところが悩ましい。

そうなると、結局ドライアドと7thコードを全部覚えるというのは、必ずしもダイアトニックスケールと連動してということにはならなくなる。実際PrinceのKissではキーはAメジャーだが、A7、D7、E7がメインで(たまにA7♯9とE9susが入る)、7thにより7度が短7度になるためスケールから半音下がってしまうベースラインやメロディライン上の音(A7の7thであるGやD7の7thであるC)は♮(ナチュラル記号:Macだと字が出てこないのでWebから拾って辞書登録した)で戻されている。

結局、最終的には、適当に押さえたときの和音がどんなコードになるか(大抵複数コード出てくると思われる)を、これとこれとこれ、みたいに全部すぐ思い浮かぶようになるべきなんだろう。そういう風にスケール(今後出てくるブルースやモードも含め)やコードが自在に行き来出来て初めて理論云々なのだろう。

とはいえ、それが50%の達成率でも出来る理論の理解や分析があるというのもまた然りだろうし、ああだこうだ言っていてもきりがないので、現状は、地道に1個づつ、まずはダイアトニックスケールとその上のトライアドと7thという関係で覚えて行く事にしよう。

facebookの特許申請

facebookのプライバシー問題に関連したUNCRUNCHEDの記事を読んで(調べてみると他でも既に書かれている情報だが)、最初、このポストでリンクが張られているUS PATENT & TRADEMARK OFFICEの"Communicating Information in a Social Network System about Activities from Another Domain"を見て、facebookと書かれていない(下の方のスニペットのドメイン名には入っているが)ので、Inventorsに書かれた名前から検索していたら、国連機関であるらしいWIPO当該ページがあり、こちらには明確に"FACEBOOK,INC."と書かれていた。これはどういうこと?

2011年10月1日土曜日

ハンバーガーはやはりKUA`AINA

いまやフォーシーズ傘下とは知らなんだが、宅配ピザといえばピザーラという相性の問題かも。

今日もTVでやっていたNYで有名なお店ということで、近所の花火渋滞をかいくぐり、高速を飛ばして食べて帰ってきたところ。これまで都内出店のいろんなゴージャスバーガーを食べてはみているが、全戦全勝、正真正銘キングオブハンバーガーだ。

ペン大 第6回 整体道場とインストール終了

上手な習い方(学ぶ、吸収する)には、良い丹田を持つ(育む)ことが重要、的な話はまあいいとして、なんとなんと、今日でインストール終了!!!という、爆弾発言が。でも誰も「え〜〜〜」とは言わない。入学案内でも8〜12ヶ月、初回ガイダンスでも6ヶ月〜1年と言っていたのが、3ヶ月(6回)だから驚くのも無理は無いはずなのだが。理由は初等科の講義全体で4年目安だったのだが、2年で回すということにするとかしないとか。自分はまだまだ全然弾けないけど、あの感じでは弾けない人多数な気がするけどなあ。

ところが、これは自分には願ったり叶ったり。だって、あのペースでインストール作業っていってもね、キーボードもポータブルでしょ、ましてや自分はSYNTHSTATION25、かなり限界だったので、インストール作業は家でやります!って言おうと思っていた矢先だったから。読まれていたか。あるいは有志からの圧力か。

しかしそれも10月一杯を充てるつもりでいたのは甘かったな。まあもしインストールが間に合わなかったらそこは、学校TVのVがあるので。

とにかくインストールに関しては、「時間とお金に余裕のある人は、ピアノ教室みたいなところに通って、ペン大では学理を、って人もいる」という話は結局、そうしてねと言っているに等しい。別にそれは正しいと思うし、当初からインストール科と初等科を分けてくれれば良いのにと思っていたぐらいなので、それをどうこう言うつもりは全く無い。無いのだが、言い方とやり方が遠回しなのが嫌い。まあ、作戦といえば作戦なのかな。しょうがない。

どうせならピアノ教室と提携するとかね。した方がそれこそお金になる気がするけど、どうなんだろう、嫌なのかなそれはそれで。基本、先生業であって、スクール業じゃないからね。

とにかくこれで弾くに関しては後は自力でよろしくということでスッキリ。何かこう、インストールは自分でやるしかないんじゃないか?と思いつつも、何かヒントが出るかもという憶測があって出ていた感もあったのだが、具体的にインストール終了宣言と実技は他で習いましょうリコメンドが出た事で、インストールは自力でということが明確になった。

こんな風に書くと何も教わってないようだが、もちろんそんなことはなく、ちょうど良いタイミングだったということ。

つーことで、サックス科で過緊張の生徒さんって誰なの?という謎を残した回であった(いやー結構テンション高かったね今日の先生は。整体道場で過去が蘇ったのかも。)