2011年10月10日月曜日

エネルギー保存の法則

とっくの昔に書いていたと思っていたが、書いてないようなので書いておく。

自分は正確にはおろか、大体ですら知らないのだが、生まれてきたときの体重は、おそらく3kg前後だっただろう。本当にこれは推測でしかない。別に確認したいとも思わないし、この話の中では全く重要ではないので、仮に3kgだったことにする。

さて、今自分の体重は、概ね68kgだ。ベスト体重を65kgとすれば、少々腹回りに余分な脂肪が3kgほど付いている計算だが、これも推測だし本題ではない(が、実際余分な脂肪は重さが分からないだけでたっぷり付いている)。

本題は、自分が生まれた時3kgだとしたら、自分の68kgの体重のうち65kgは、生まれた後、自分の一部になったことを明確に意味しているということだ。もちろんこれは「少なくとも」という無意味に最小限の事実を示しているだけで、生まれてからの数十年の間に、もっと沢山の体の入れ替えがあったことは想像に難くないし、証明は出来ないが誰もが信じる一般的な事実と言えるだろう。だがその数十年の入出力を無視して今この瞬間だけにポンと目を向けたとしても、自分は生まれたときの自分と「何処か65kg違っている」ということだ。

そしてさらに、母親のお腹の中にいる時まで遡れば、奇妙な事に、実際の自分、物理的な自分が、実は(全部とは言えないかもしれないが)流動的であることが分かる。

話を単純にするために、まずは生まれた後について考えてみよう。この生まれた後に獲得した65kgは、一体何で出来ているのか、というか、元は何だったのか、あるいは何に由来しているのか。それは言うのがバカバカしいほど当たり前な、さっき飲んだ一番搾りであったり、その前に食べたラーメンとその具材であったりするはずだ。そう、自分の体は、元を質せば、キャベツの切れ端と同じなのだ。

世の中には心臓に記憶の一部が記録されているのではないか、といった事象が確認されたという話もあるのだから、脳が人の全てだと言うつもりは無い。ただ脳が人間性の最も主要なパーツと目されていることは一般的な認識だろう。その脳は、実はキャベツから出来ているわけだ。

だがキャベツに人格の元があるとは、にわかには信じ難い。

では更に胎児にまで遡ったらどうなるだろうか。そこが全ての始まりだろうか? いいや。ではその前の両親の染色体はどうだろう? そこが全ての始まりだろうか? いいやそうではない。そうやって過去へ遡ったところで、同じ事の繰り返しでしかなく、どこまでも過去を遡っていくなら、そして知られている説を信じるなら、宇宙の起源まで行くしか無い(あるとすればだが)。

つまり自分は、150億年前のビッグバンの末裔なのだ。

とか何とか言ったのは、多分、’94〜’96年ぐらいの事ではなかっただろうか。何かのチャットで知り合ったアマチュア作家の方に出したメールの中で書いたのが最初だったと思う。

全く、冗談みたいなバカバカしい話だが、自分は単純な事実を述べてるに過ぎないし、そこに何か意味を見いだそうとしているわけでも実はない。

一方で未来に目を向けてみよう。自分はこれからも生きている限り、これまでと同じように入出力を繰り返す。敢えて入出力と書いたが、それはキャベツだけを意味するのではないという意味だ。つまり、五感(人によってはそれ以上の感覚)を通じて、様々な入力、すなわち光や音、匂い、そして感情などといった、人間に特徴的な物を取り込むことで自身が変化しながら、同様に吐き出す事で、時に他の人や動植物にも影響を与えていくことになる。

そうして自分がいずれ完全に過去の一部に埋没してしまう時が来ても、その次の世代の人達の間で、それは変わりようが無く、同じように営まれていくことになる。

このように、人というのが、ある時突如固体化し、その後日々獲得する経験によって変化し、やがて消えていく流動的な物だとすれば、150億年も前のことについて思い悩んだところで始まらないし、この先2000年後の未来でさえ150億年というアバウトな期間に飲み込まれてしまう。

要するに結局の所何をmemoしているのかと言えば、自分は、この保存されたエネルギーの系の中で、キャベツの切れ端とさほど変わらない存在だということ。そして、キャベツになったことはない(か当時の記憶がない)ので、キャベツでいるよりは今のほうが良い、ということだ。

こう思うようになったきっかけは、1つとは言えないが、それに直接気づいたのは、数年前、っとこれはある種のパスワードとして内緒にしておこう。(と、別途下書きに)

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