2011年3月31日木曜日

『憂鬱と官能を教えた学校TV』 セカンドシーズン

は、残念ながら、見送られたとのこと。だがそれを望んで止まない自分にとっては、校長の口から「セカンドシーズン」や「第2部」という言葉が聴けたこと、教頭も「わからないですよ〜リベンジがあるかもしれない」と発してくれたことは、とても嬉しい。

斯くなる上は、自分で主催するまで。そのために何が必要なのか全く分からないが、まあ良いではないか今今は。成せば成る。いつか必ず。校長、教頭、待っててください。

それにしてもこの番組は本当に面白い。実を言うと、うちのHDDレコーダは旧式なのと、アンテナが旧式なのとで、番組はスタンダードモードで、かつ、DVDにダビングするときに、普通に2時間再生しているのをDVDに録画する、みたいな事にならざるを得ないのだが、そのダビングしながら番組を見ている小2時間、必ず寝てしまう(恐らく難解すぎて血流が止まるのだと思われる(クラシックを睡眠導入剤として活用するのと同じ))。にも関わらず、完全に吸引されるというか、引き込まれる(同じか)。何というかこう、全身の細胞が変化するというか、電荷を1個多く持たされてしまうというか、静かに、だが着実に、普通じゃなくなるのを実感させられるのだ。

そしてこの番組の内容(内用)、あたりめのごとし、噛む度に味が出る、とはちょっと違うが、噛んでも噛んでも減らないといおうか、挑みがいの尽きない。前から言っているように、番組をアプリにする上で考えていることは山ほどあるが、せめてその一環として、番組をある手法でトレースしたいのだが、それにはちょっとした作業とプログラミングが必要で、そこを手作業で全部やれない事もないが、それこそ映画を絵コンテで秒20枚書くようなもので(それはちょっと大げさかもしれないが)、それですらやりたいけど出来ない。自分が暇を持て余した身分なら、ずーっとそれをやっていたい。星新一の作品で金庫を磨くことが生き甲斐なN氏だかS氏だかの話を思い出すにつけ、今にしてそのショートショートに凝縮された象徴化というべきか、その作品の力を改めて感じる。

そして最終回、気づいた大きなことが1つ。校長の話を聴いていると、2000年後の人類あるいは人間社会はどうなっているだろうかということに、思いをめぐらせることが出来たという事、そして2000年後に見る今は、今から2000年前と同じように、全くの過去、歴史そのものになってしまうのだということを意識出来たということ。

今までも過去を見ることは、ある意味(見るだけなら)簡単だったと思う。しかし未来はどうか。正直、2000年後など想像したこともなかった。

私は昔、何歳か忘れたが(多分25〜30ぐらいの間だと思う)、R.ドーキンスの『ブラインドウォッチメイカー』という本で、ある種の開眼めいたものを得たのだが、つい最近(数日前)、偶然その原作(英語)のペーパーバック版をAmazonで見つけて思わず衝動買いしてしまったのだが、そしたら今日、『憂鬱と官能を教えた学校TV』の最終回を見て、また1つ開眼を得る事が出来た。何か韻を踏んだような気がした。

本当に、人生は毎日が新しい。

0 件のコメント:

コメントを投稿