2011年5月8日日曜日

無駄な時間

無用の用という言葉を、自分は子供の頃、アニメ『一休さん』で知った。内容は忘れたが、言葉だけは覚えている。自分なりには、結局カオスなのか、つまり間接的な作用の階層(連鎖)とでも言えばいいのか、のように思っている。

ちなみにカオスという言葉は、映画『ジュラシックパーク』の原作(日本語訳)より前には知っていた。確か「北京で蝶が羽ばたくと、ニューヨークで嵐が起こる」(ウィキペディアより抜粋)的な内容だったと思う。だがバタフライ効果という言い回しを知ったのはもっと後だった気がする。風が吹けば箱屋(桶屋)が儲かる、とは系が違うだろうか。

さて、そうして(これまでの時間も含めて)無駄な時間を過ごす重要な意義の1つに、無駄に過ごしたいという怠け心がある。ボーっとするとかは逆に苦手なので、そんなときは、寝るか、どうでもいい(目的の定まってない)ことをやって、リラックスする。言わば頭の柔軟体操のようなものではないだろうか。

そんな無駄な時間を過ごしていたら、JMakiという、昔用賀のセミナーで聞いた懐かしいものの日本語訳プロジェクト「JMusu」のMLが出てきた。残念ならが、JMusuのリンク先は今は無きglassfish.jpで、辿り着けないのだが、JMakiの日本語ページがしっかり公開されている。まださらっとしか読んでないが、仮にこのページがあまり読まれなかったとしても、自分にとってこの存在意義は大きいし、こうした素晴らしい作業を行った方々、有志の『有志』が、その人にとって有意義なものであったことを願わずにはいられない。

要するに、人生は日々の積み重ねであり、古い経験は朽ち果ててこそ肥やしになるだろう。そして人生は毎日が新しい。無駄を意識しようとしまいと、あるいは言い訳にしようと、常にそこには新しい選択がある。明日を選ぶのは自分なのだ。

もし翻訳SNSが人気を博すことになれば、随分な無駄が肥やしになるはずだ。

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