2011年5月9日月曜日

何も変わらない明日

とある君「いいよね、自分で選択出来る人は。」自分「いいえ、誰でも(訳注:パクリです)。」とある君「僕に選択なんてないよ。」自分「ありますよ沢山。例えば靴下を履きます?それともはかない、石田純一さんニアンですか? そうですか、履きますか。じゃあ、右足から履きます?左足から履きます?」とある君「いちいち気にしてないよ。」自分「ね、選択があるじゃないですか。今日は右、明日は左から履くんですよ。」とある君「そんなの、何が変わるの?」自分「やってみれば分かります。いえ、実際分からないんですけどね違いは。だって、右から履いた今日と左から履いた今日は同時に実行出来ないじゃないですか。ね? でも確実に違いますよ。例えば時間。右から履いたときと左から履いた時で、僅かですがおそらく意識しないで履くより、時間がかかるはずです。特に最初は。だって、あれ?今日はどっちだっけ?とか、思うでしょ?でしょ?」自分「それに、例えば右足に穴が開いてたとするじゃないですか。でもまだ小さかったとしますよね?しかも親指の先辺りだったとするでしょ?その穴が。得てしてソックスの穴なんてそんなもんですよ。そうすると、左足に履けば今日ぐらい持つとか、思ったりしません? しますよね?ね? そうなんですよ。そうすると左に履き替えるでしょ? ほら、もう全然昨日と違うじゃないですか。ね?」とある君「いや、それ、いや、だけどさ、大した違いじゃないじゃん。」自分「わっかんない人だなあ。じゃあね、そこで30秒違ったとしますよね、いつもと履く時間が。そうしたら信号1個違いますよ実際。ね?ということは、出会いの可能性からして恐ろしく違ってきますよ。まあ、どっちに転ぶかは分かりませんけどね。」とある君「でもさ、選択っていうのは意思じゃん。そこでさ、信号1個違ってさ、初めて合う人がいたとするよね? でもそれって合いたくてあってるわけじゃないじゃん。そしたら選択でも何でも無い、ただの偶然じゃない。」自分「あたりまえじゃないですか。偶然ですよ。その偶然を選ぶんですよ。だってそうでしょ? 生まれた瞬間からして、選ぶ頭が無いじゃないですか。能がないでしょ? 意思だって無いに等しいじゃないですか。そんな中、日々明日が訪れるんですよ? 偶然と選択、そして結果オーライですよ。全ては。ね? いつしか知恵を付けたつもりで、考え抜いて緻密にやったところで、確かにひょっとしたらその緻密な計画通りに事が運ぶかもしれない。でもそれはたった1つの偶然でどうにでも変わってしまうかもしれない。つまり結果オーライなんですよ喩え緻密な計画通りだったとしても。1つの信号待ちの違いが、すべての計画を狂わせてしまうことだって有り得るんですから。」とある君「いや、そんなことないよ。確率っていうかさ、自分に関心がない人は、永久にそうなんだもん。すれ違う人間が1人や2人違ったって、自分に関心がないとか関係がない人っていう意味では”同じ人”じゃん。ってことはさ、そんなぐらいな違いじゃ、確かに100%断言はできないけど、ほとんど99%以上変わんないよ。」自分「じゃあ街で偶然知り合いに合うのはどう説明するの? 誰だって思いも寄らない知り合いと偶然再会するもんだよ。俺だって3回ぐらいはある。一度なんか浜松にある辞めた会社の同期の営業さんと六本木のディスコでバッタリ会ったんだぜ。しかもそのせいで人生大きく変わったし。どう変わったかは教えないけど。」とある君「ふ〜ん、そうなんだ。でもさ、だからさ、それは君の運であって、確率の問題からしたら、僕には当てはまらないよ。」自分「そうだよ、その通りだよ! 君には当てはまらない。君には君の選択があるんだから。いいかい?もし君が生涯を通じて、そんな偶然が起こらなかったとしたら、君が見事にそれを選択してのけたってことじゃないか。君はそんな偶然に何か期待しているみたいだけど、それがもし、避けたいことだとしたら? 君は全く正しい選択をしたことになる。そうして本当に君が驚くような偶然を避け切ったとしたら、100点じゃないけど、40点よりはマシだということだよ。」

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