2011年7月29日金曜日

ペン大 第2回

凹んだ。ものすごく凹んだ。凸然のビデオ禁止。理由は生徒さんが映ると困るので。

2011/7/30追記。メールで配信されたペンギン音楽大学校則には、「録音・録画は自由」とあった。自分の思い違いではなかった。


そこ(の理由付け)は微妙だが、そうエクスキューズされて揉める気にはなれない。自分はビデオを取りにきたわけではなく、音楽理論を勉強するために来たのだから。

ただ、いざとなったらManfrottoの三脚も辞さない覚悟で挑んだwにも関わらず、というのと、ビデオを2時間取り続けるために、わざわざ電池とメモリを手配し、ぎりぎり間に合った、ということからの反動が大きすぎた。

だが冷静に考えれば、そんなことに必死になっているという裏返しであり、余りにそれがバカバカしい、という事実。これが傷口に塩を塗った。

さらに追い打ちをかけたのがスピーカーの電池切れ。幸い、出がけに気づいてヘッドホンの延長ケーブルだけは持っていったので、なんとかヘッドホンで聞くことはできたのが実質面での救い。しかし逆に、床に転がしたハンディカムとManfrottoの冷たい視線が、コントラストを強くする。ヘッドホンも忘れいたら、どうだっただろうと思うが、まあ、それはそれで、iPhoneがあったので、そこで粘っただろう。

さて、そんな失意が手伝ってか、元々身に付いていないからか、ホールトンスケールすらまともに弾けなかった。確かにメジャースケールは全部身に付いていない自覚はあるが、一方でホールトンスケールでメジャースケールを弾くというのは、『やり直し「憂鬱と官能を教えた学校TV」』でこの2週間(正味でも10日以上)はやったはずだというのに。AkaiのSynthStation25+50in1に馴染んでいないことも影響した。

これでは自分が先に進みすぎて、長期欠席状態に陥る心配は、当分必要なさそうだ。

折しも今日(というか昨日。書いているのは7/29で、授業は7/28)、校長(菊地さん)の日記で、DCPRGのインパルス!との契約に関する話が語られていて、最後にこう締めくくられていた。「オレは必ず借りは返す。音楽でだ。」

だから自分もこう言おう。「この借りはいつか必ず返す。」・・・全く柄じゃない(爆笑)。だが最近、ビデオ教育という手法が、非常に効果があるというコンテンツを2本、立て続けに見た。自分が録音ではなく録画にしたかったのは、単にホワイトボードをコピーするためでしかなかったが、もし借りを返すというのであれば、ちゃんとした企画として、ペン大をビデオ化すること、になるだろう。

『菊地成孔マナーによる音楽理論講座〜新宿御苑バークリー〜基礎編/全4年分(仮題)』

坂本龍一さんも『コモンズスコラ』という教育的音楽全集のようなビデオを制作され、順次リリースなさっている。全体でどのぐらいの規模になるかは忘れたが(スコラをググると出てくるはず→ここ)、相当な量だった気がする。もちろん今のところ買う気はない。

もちろん、それ以前に『オレオレ憂鬱と官能を教えた学校TV』アプリの作成をやらなければならないのは言うまでもないし、『闘争のエチカ』(上巻)のハッキングも控えている。



あともう1つ。内容がTVで見ているので、新鮮味が無いというのが非常に大きい。これも受講申込の際、大いに迷った点だが、実際、これはキツい。だが受講自体は、間接的に大きな良い影響を与えてくれたので、それだけでも4年分の授業料以上の価値がすでにある。今はそれを忘れないようにしよう。ということでのmemo。

それにしても楽しんで身につけることによって一生ものにするという方針?であるためか、これでもかというぐらいの工夫が次々繰り出される。それが今自分は楽しめていないわけだが、音楽理論を楽しく一生忘れないよう身につけたい諸氏は、今からでも遅くはない。ペン大に入ろう(といっても正式な募集は締切られているので、なんとかお願いします!といった熱意をぶつけてみる、あるいはコネ的な、あるいは知らん顔して座っているような図々しい神経でもって)。


それと今日の疑問。
メジャースケールが全部弾けるよという人が、それがホールトンスケールでみるとどうなっているか、という目で見てください、的なことだったが、学校TVでは「覚えてしまったらどうやって覚えたかは忘れてしまっていい、むしろ忘れるべき」と言っていた。これは一見矛盾するようだが、どういう意図だろうか。単に学習過程として、ホールトンスケールがメジャースケールに還元される法則を一度で良いから確認するということなのか?それとも何か他に意図があるのか。

さすがにメジャースケールはおろか、ホールトンスケールさえ弾けない奴が、失意の今日、スピーカーから音も出せない状況では、とてもじゃないが質問できなかった。次回、忘れずに聞こう。



今日の驚き
生徒が一斉に演奏するとき、リズムが最も大事ということで、先生の使っているスタジオキーボードのリズムマシンからビートを繰り出すのだが、それに生きのいい、実にフレンドリーなベースが被っている。これはずーっと内蔵シーケンサが出しているものだと思い込んでいたが、何と! 生演奏だったのだ! 何気なさが逆に凄い。まあ、ミュージシャンだから先生にとっては全然凄くないのだろうけど。TVで見ていると、かっこいいフレーズを弾きながら頻繁に間違うのは、サックス奏者だから全然気にしていなかったが、逆を言えばごめんなさい、キーボードはへたくそな人だと思っていたので、余計ビックリした。

何て贅沢なホールトンスケール練習だったのか!

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